「自然と子どもを守る会」では隣接する自然教育園周辺の開発、幼稚園近隣の開発に目を向け、主に下記の活動をして来ました。
①首都高速道路目黒線の建設(1967年・ 昭和42年)
東京オリンピックに向けての高速道路整備の一環として計画され、オリンピック後の1967年に開通しました。計画当初は自然教育園の中央を通る予定でしたが、関係者の反対もあって教育園の外周を通るルートに変更されました。当時は教育園への影響という認識も薄く大規模な反対運動は起こりませんでしたが、高速道路と白金トンネルの建設により、目黒通り方面から水鳥の沼への水脈が断たれ、沼は還流水で水位を補うことになりました。この事例を教訓として、幼稚園では自然教育園周辺の環境保全運動を起こしてゆくことになりました。
②品川労働基準監督署建設(1968年・昭和43年)
幼稚園横の予研正門前通路に品川労働基準監督署建設計画が持ち上がり、幼稚園では園庭が日陰になるとして当時の労働省や関東財務局に連日陳情を行い、その甲斐あって建設計画は中止となりました。
③CIマンションの建設(1972年・昭和47年)
幼稚園に日影の影響があるとして、都庁などに陳情、署名活動を展開しました。その結果、当初14階建ての建築計画は目黒通り沿い12階、北側7階に計画変更されました。この時初めて、対外的な活動に従事する係として実行委員会が設けられました。
④ソフトタウン白金の建設(1973年・昭和48年)
幼稚園の向かい側に日交開発によるマンション ソフトタウン白金の建設計画が起こり、関係各所との話し合いを重ねて、幼稚園に一片の影も落とさない計画で協定書が取り交わされました。その後、建設側の担当者は幼稚園の良き理解者となってくれました。
⑤白金プリンスホテルの建設計画(1974年・昭和49年)
戦後、西武が所有し暫定的に迎賓館として使用されていた旧朝香宮邸を含む敷地に地上14階地下3階のホテル建設が計画されました。これにより自然教育園への日照と地下水分断などの恐れがあったことから幼稚園では反対の声をあげ、港区・東京都・文化庁・文部省への陳情、請願を行う一方、西武不動産とも話し合いました。その後、西武不動産は敷地を都に売却してもよいとの意思を示し、東京都に働きかけを重ねた結果1978年(昭和53年)ホテルの建築確認申請は取り下げられ、1979年(昭和54年)白金迎賓館用地買収が都議会で採択されました。この計画中止に至った背景には三笠宮殿下はじめ幼稚園に理解のある方々が陰ながら支えて下さったことが大きな力になりました。
⑥長銀(後の新生銀行)事務センタービルの建設(1975年・昭和50年)
幼稚園への日照と自然教育園の地下水への影響を懸念し、開発側の竹中工務店と東京都に申し入れを行いました。その結果、当初8階の計画を6階まで下げ、北側部分をセットバックして事実上4階にするなど幼稚園の日照に影響のない計画に変更されました。その後1990年(平成2年)に幼稚園の日照に影響がない範囲で増築され地上6階になりました。
⑦東京都の美術館建設計画(1981年・昭和56年)
東京都が買収した白金迎賓館跡地に新たに美術館建設の計画が示されました。幼稚園では地下室建設による水脈への影響を懸念し、またアールデコ様式の旧朝香宮邸の文化財としての保存も訴えて、東京都と交渉をしました。その結果、東京都は新たな美術館建設を断念し、1983年(昭和58年)旧朝香宮邸は東京都庭園美術館として公開されました。
⑧地下鉄7号線の建設(1984年・昭和59年)
目黒通りの地下を通る地下鉄7号線が、自然教育園への水脈を分断する恐れがあるとして、路線の迂回を求める運動を展開しました。度重なる営団との交渉にもかかわらず、何の変更もなく工事計画が進められるため、建設・運輸省に対し路線の許認可を不当とする行政不服審査請求を行いましたが、その申立てが却下されたため1993年(平成5年)に却下取り消しを求める行政訴訟を提起し最高裁まで争いました。(白金裁判)しかし幼稚園の主張は認められず1997年(平成9年)敗訴となり白金裁判は終結しました。その後、地下鉄7号線は営団地下鉄南北線・都営地下鉄三田線として2000年(平成12年)に開業しました。
⑨NTT光ファイバーケーブル立坑の建設(1984年・昭和59年)
目黒のNTT唐ヶ崎電話交換局から白金の電話局まで目黒通りの地下に光ファイバーを通し、目黒側と白金側のケーブルを繋ぐための立坑を庭園美術館前の緑地に設置するという計画が持ち上がりました。計画地は自然教育園側に傾斜しており、幼稚園前のバイパスを通ってそこに立坑を建設すると水脈を遮断する恐れがあるとしてNTTと話し合いを重ね、立坑は上大崎交差点反対側に変更して建設することで合意しました。NTTは幼稚園の申し入れに沿って庭園美術館前の緑地を中心に11カ所のボーリング調査を行いました。これにより流向流速も含めた自然教育園への地下水の流れを確認するデーターが得られました。
⑩港区特別養護老人ホームの建設(1986年・昭和61年)
自然教育園に隣接する林野庁宿舎跡地に計画された港区の特別養護老人ホーム建設計画に対し、自然教育園内のサンショウウオの沢の沼頭(水脈の始まり)を損なうとして計画の変更を求めて交渉を行いました。しかし工事計画は進められ、心配した海先生や実行委員が交代で工事現場の立番等を行った結果、建築後10年間自然教育園への地下水の影響を調べる調査会設置の提案を受けて港区と合意し、その後、港区厚生部と幼稚園側とで敷地内の地下水のデーターを確認することとなり、大きな影響もなく10年間の調査期間を終了しました。特養ホームの建物は地下に設置するはずの機械室を屋上に設けており、地下室のない構造になっています。
⑪亜東関係協会(現 台北駐日経済文化代表処)の建設(1986年・昭和61年)
林野庁宿舎跡地を港区と二分した敷地に、特養と同時期に建設計画が持ち上がりました。こちらもサンショウウオの沼頭の損傷の懸念を訴えて交渉に当たりましたが、話し合いは実らず建設が進められました。しかし、それまでの経緯から地下室の天井を低くし、敷地内を透水性舗装にするといった地下水に対する配慮がなされました。
⑫恵比寿ガーデンプレイスの建設(1987年・昭和62年)
サッポロビール三田工場跡地の再開発計画が発表され、谷を隔てて至近距離にある自然教育園への風害・水脈の変化・生態系への影響を懸念して、計画規模の縮小、長者丸側の崖地の保存等を訴えて交渉を重ねましたが、当初計画のまま建設が進められ1994年(平成6年)恵比寿ガーデンプレイスがオープンしました。崖地を彩った桜並木は切られてしまいましたが、何本かのケヤキの大木が当時のままに残されています。
⑬ソニーミュージックエンターテイメントビルの建設(1995年・平成7年)
自然教育園に隣接した旧岸邸跡地にソニーミュージックエンターテイメント事務所ビルの建設が計画され、地下掘削による地下水への影響を懸念してソニーミュージックエンターテイメントと交渉を持ちました。しかし工期の迫った建設側は幼稚園が建設予定地の近隣ではないとの理由で話し合いに応じず、交渉は決裂しました。
⑭予防衛生研究所跡地の開発(1996年・平成8年)
幼稚園に隣接する予防衛生研究所の戸山移転に伴い、敷地を住宅都市整備公団の売却する旨を大蔵省から示されました。公団の建設計画は幼稚園の北側に当たり日照に影響を及ぼすものではなく、地下水への懸念もありませんでしたが、長年研究所として使用されてきた建物の撤去による環境汚染が問題となり不安に思う保護者も出てきました。幼稚園は不安を払拭すべく、住都公団と汚染物質の除去・敷地境界の確定・敷地内の植生の保存等について交渉を重ねました。幼稚園では独自に予研敷地内の植生調査を行いリストを提出し保存を訴えました。その結果、樹木の何本かは現在も敷地内に残っています。2002年(平成14年)住都公団目黒東口団地(シティーコート目黒)が完成しました。
⑮前田道路ビルの建設(1997年・平成9年)
幼稚園の真南のビル建設であり、園舎の日照を確保するためのセットバックと地下水への配慮を訴えて交渉を重ねました。その結果当初8階の予定が7階建となり、さらに最上階をセットバックしてもらいましたが、2001年(平成13年)のビル完成後は、冬季に霜がなかなか溶けないなど幼稚園への日影の影響は予想よりも大きく出てしまいました。
⑯モリモト(現目黒東急ビル)のビル建設(2001年・平成13年)
杉野講堂敷地跡のビル建設計画で地下水と日影の影響を懸念して交渉を行いました。地下は掘削せず、屋上看板は設置しないなどの点で合意をみました。
⑰アクロス目黒ビルの建設(2001年・平成13年)
上大崎3丁目の22階建の高層マンション建設により日影が幼稚園にかかるので階数削減を要求しました。塔屋の一部変更などで日影は多少削減されましたが、経済性重視の姿勢にそれ以上の進展はなく物別れに終わりました。
⑱どんぐり児童遊園(2003年・平成15年)
都心にある公務員住宅の統廃合が進み、白金台5丁目の公務員住宅は売却される見通しになりました。民間に売却され大きなビルが建てられると、日影・風害・水脈・騒音など自然教育園に大きな影響をもたらすことが懸念されます。実行の自主グループは勉強会を始めたり、関係省庁に売却の話を聞いたりしました。そして2003年(平成15年)港区議会に白金台5丁目公務員住宅跡地を港区で購入して欲しい旨の請願を提出しました。これは継続審議となりましたが、2004年(平成16年)近隣住民(公務員住宅跡地の環境を考える会)から出された環境保全を訴える陳情と幼稚園からの請願を合わせて一括採択され、公務員住宅跡地は港区が購入する見通しになりました。
これを機に、実行委員会では白金台の水と緑を考えるシンポジウム『モグラが知ってる白金台、モグラも知らない白金台』を開催し、公務員住宅跡地の自然環境の大切さをアピールしました。2005年(平成17年)港区が敷地の2/3の払い下げを受け、残り1/3は児童遊園として利用する用途限定付きで10年間の無償貸与(更新は可能)となって、公務員住宅跡地に児童遊園が生まれることになりました。港区では児童遊園を作るにあたり、地域住民や関係団体から選出された委員が話し合って内容を決めてゆくワークショップ形式を取り入れました。幼稚園と自然と子供を守る会からも4名の委員が参加して積極的な意見交換の後、現在の児童遊園の基本設計が出来上がりました。
2008年(平成20年)どんぐり児童遊園として一般開放されました。その後もよりよい公園になるよう、ワークショップメンバーの有志を中心に「どんぐりの会」が作られ、地域の町会や児童館、小学校、幼稚園が港区高輪総合支所と話し合って公園の管理や運営に関わっています。これまで自然教育園周辺の自然環境を守る運動は幼稚園が独自で行うことが多かったのですが、この場合は地域の人と連携し協力できたことが結果に繋がり、とても良い事例になりました。